第9回
教師になって二か月が過ぎ、
キャラクターだけでは補うことのできない部分を感じている。
それは、指導力の無さである。
特に授業中などは無力さを痛感させられる。
従来の知識注入型授業ならば、何とかなるかもしれない。
しかし、いま、授業は問題解決型学習に変わってきている。
覚えさせるだけじゃなく、生徒に興味と疑問を持たせる教え方が
求められているのだ。
たとえば、旧石器時代と新石器時代の違いを教える場合も、
「狩猟・採集から農耕・牧畜へ」とストレートに言葉にしてはいけない。
「動物や木の実をとる生活は安定しないよね。
獲物が見つからないと、おなかがすくよね。
どうやって生活を安定させたと思う?」などと尋ね、
「自分で食べ物をつくればいい。」
という言葉を生徒から引き出すのだ。
「家畜を飼えばいい。」「畑をつくればいい。」と出てきたら、
「そうだね、そういう生活を社会科では農耕・牧畜というんだよ」
と教える。
誘導尋問でなく、自然に子どもたちに気づかせるような発問を
しなければならないのだが、
僕にはそれほどボキャブラリーがない。
難しい熟語などを使うことで、子どもたちの思考を止めてしまったり、
逆に、幼稚な言葉の羅列になったりする。
人に教えるのは本当に難しい。
そもそも社会科には、教える内容が本当に正しいかどうか、
教師も分かってない部分があって、戸惑うことがある。
「エジプト文明が紀元前三千年ごろ」というのが
真実かどうか分からないのに、
テストがあるから覚えさせている面も否定できない。かといって、
「エジプト文明がフランス革命の後」だとか言われると、
やはり困るのだが・・・・。
僕は歴史の最初の授業で、なぜ歴史の勉強が必要なのかを
生徒と一時間かけて話し合った。
生徒たちは「過去の過ちを繰り返さないため」を第一にあげた。
僕は「ただそれだけではなく、君たちには人類の築きあげた文化や
伝統の継承者としての役割という面もある」と続けた。
正しいものは何なのか、いつも疑う気持ちを大切にしてほしいと思う。
そのためにも、僕は指導力を身につけなければならないのだ。